TOMOです。
早いもので父が2004年1月8日にこの世を去って21年。
なんであの時もっと近くにいられなかったんだろうと。
自分のことで精一杯で日本になかなか帰ることもできず、母に”いつ帰ってこれるの?”と何度も言われたのに、医師にいつ亡くなってもおかしくない状態と言われるまで帰れなかったことを今でも後悔。2003年の大晦日にようやく日本に帰って病院に直行して、そのまま病院で家族全員で寝泊まり。仕事が忙しく父と過ごした時間で長く濃かったのはその1週間かな。アメリカで働き始めてから日本に帰れても4泊6日くらいだったし、帰れば友達と遊んでご飯も外食ばかり、夜中に帰って昼まで寝ての日々だったので、一時帰国しても父の顔をしっかりみて過ごす時間もすごい短く、アメリカに帰る日も部屋の外からドア越しに”気をつけて帰れよ!” とまだ寝ているぼくに寂しそうな声だけを残して仕事に向かっていた父とのことを思い出して、本当に後悔ばかり。
1月10日は母の誕生日で、父の葬儀の日でもあったので、この日を境に母は一生誕生日を悲しい思い出の日になってしまうという死後も本当に父一筋な人生になりました。先日日本に帰って母を見ても相変わらずの粗食だけの日々で、まだまだ75になってもまだまだお金を使わない節約生活。1ヶ月の食費は1万円なんて絶対いかないだろうという堅実ぶり。野菜は近所のおばちゃんたちにみかんで物々交換したり、肉はまず食べないし、魚を食べるのもやすい特売品のものしか食べないし、ほんといろんな意味で強いなぁ・・・と感心する。この前もたまには二人で温泉でも行く? たまにはおいしいもの食べない? と誘ってみたけど、これから子供にお金かかるから貯めときなさい! と一蹴される始末。
両親は形は違うけど、本当にたくさんの愛情で育ててくれたなと感謝しかない。自分が親になってそこまで子供のためにできるんだって比べてわかるすごさ。いつもありがとう。
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